2018.09.20(木) 於 大久保 ひかりのうま
《出演》
小山健太 with T.T.端子
鈴木伸明
どんぐり山猫
根岸卓平
大久保に行こうと、中野で総武線に乗り換えると端子さんがいた。隣でギターを抱えているのは小山さんなんだろうと自然とわかり挨拶をする。
2人の話を聞いていると、今日は私以外、顔見知り同士だと知る。だけどひかりのうまにでる人たちはええ人多いから、あまり気にしなくてよさそう、とも思った。
雨のなか、観にきてくださる方がいてうれしい。
小山さんには夜のさみしさについての歌がいくつかあって、いいなぁと思った。私だけでなく、やっぱりみんな夜風にさみしくなったりするんだろう。ボーッと目を瞑りながら聴いていると、歌われるさみしさの風景に同化する感じがあって、ふと落ち着いたりもした。
わたしは二番手。「一億の夜」で始めるのが最近のモードなのです。
月末に出版される日本評論社「統合失調症のひろば」に寄せる文章を書きながら、こんなことを考えていた。わたしは人前に立って演奏することとは“卑怯者である自分”から遠ざかるためのものだと考えているフシがある。たられば唱えがちだったり、論の構築に始終しほくそ笑む自分を吹き飛ばすために歌っているような。
当日演奏しながら想像していたのは、ある時からわたしの文章を「つまらない」と批判し始めた人についてだった。彼が言うにはわたしの文章は「ナルシスト」で「意味がわからない」し、「大衆をバカにしている」そうだ。
もしわたしを「つまらない」と思うのなら自分で「つまらなくない」文章を書けばいいのに。わたしは少なくとも、今までそういうやり方をとってきた。
中学生のとき、わたしにとってつまらない人(彼はノット・ファニーという意味以上に、強いものにおもねるいっぽうで自分と別の世界にいる他者を嘲笑していた)がクラスの中心に立っていることに腹を立てて以来、自分の思う「つまらなくない」を文章にしてきた。20歳からは音楽や詩、絵でも形にしている。だけどそれって「心に決める」ことだから、あの人には難しいのかな。
それでも伝わればいいなと歌った「火の輪くぐり」は、もっといろんな人に観て欲しかったような気もする。
わたしの次はどんぐり山猫さんだった。ボーカルはじょばんにさんという女性で、歌は儚さにあふれていた。CDは宅録で、ひとりでしているそうで楽しみ。
最後の鈴木伸明さんは朗々と歌ったり、ファニーな趣きもあり。ピアノに親しみのあるひと特有のメロディの躍動感が面白かった。自分にはきっとできないだろうな。ホーミーみたいな歌い方も楽しかった。
終演後に皆さんと話せてよかった。端子さんと電車に乗って、近況を話す。
スーパーに寄ると明太子が安売りされていたので、それでスパゲッティを作ろうと画策して買って帰る。旨味が増すと聞いたので、塩茹ででなくコンソメでパスタを茹でたのだけど、そう言われるとそうなのかな。
マルタさんとは林邦洋さんについて話をした。ひかりのうまの開店したての頃に出演してたみたい。「そして僕らの毎日」は中学生の時にずっと聴いていて、「東京の若者」を感じていた。東京日記でも同曲をモチーフに文章を書いてます。
https://toukyounikki.wordpress.com/2018/04/11/004-2/
1.一億の夜 2.白い栄華 3.千年 4.骨と燈 5.みなかみ 6.架空 7.火の輪くぐり