Negishi Takuhei

根岸卓平の演奏日程と、その後記

2016.11.11 「根岸卓平『とき』発売記念イベント」 於 難波ベアーズ

【出演】

工藤礼子+工藤冬里
半野田拓
ayami yasuyho
根岸卓平

今回は本当にひょんなことから、始まったイベントでした。「とき」を制作し、さらにいろんな方に届いてほしいなぁと思ったとき、ベアーズのスタッフの方に「呼びたいひと呼んでみたら」「せっかくなんだし、たくさんのひとに来てもらったほうがいい」と言って頂いたことに由来します。

前回の、「Gossip Folks」発売時は、ベアーズの方が、「いろんな演奏がみたい」という私の意図を汲んでブッキングしてくださったのですが、今回は私に通じるようなひとたちとしたい。仲がいい、とかそういうホーム感ではなく、わたしたちの中にある一本線が互いに響き合うような、「通じている」というマトマリがほしい。

「とき」はごっついものを作ってしまった、という自負があって、でもそれをクチでいうのは、ものすごく簡単。それを経た自分は、ほんとうにごっついのか、勝負したい。だから、いち演奏家として超えたいと思うひとがいい。また自分より名の通った方々をお呼びすれば、彼らをキッカケにして、「とき」の存在を知ってもらえるかもしれない。

演奏活動を通して思うのが、勝負してやるぜ、みたいな感覚って、持ってるひと少ないのかなぁ、ということです。別に口に出していうことでもないし、それぞれの腹のウチというのは、わからない。わかってはいるのだけど。わたしは昔から、小学生の時分の落書きひとつとっても、絶対自分のほうがおもろいしヤバいことしてる、という気持ちはすごかった。

別にケンカしろとかそういうことではない。例えば、詩人の世界というのは、君がそう描くならば、俺はこうかな、という歴史だと思っています。共感しつつ、切磋琢磨して、という感じ。でもライブハウス界隈を見ていると、どうもそういう勝負とか野心というのが、あまり見えないなぁと思う。

悪いことではないから批判はできないし、自分もどこか、肩を組んで安住したいと思っているのだろう。だけど、音楽ファンの集いみたいになるのが、わたしはイヤだ。私は、少なくとも聴いている音楽をキッカケにして、ひとと繋がろうとは昔から思っていなかった。それはそれ、これはこれ、という感じで、音楽でなくても、映画でも美術でも、なんにしても、それは自分を夢中にさせる世界が広がっているから好きなだけで、純粋に興奮させてくれるもので、大きくくくると「癒し」なんだと思う。だから、だれだれと共演して、みたいな話は勿論ですが、「あこがれているひと」を超えようという気持ちのない、単に行動をトレースしただけの癖に、しれーっとした顔つきのひとを見かけるのは、得意じゃない。

わたしが今回工藤礼子さん冬里さん、半野田拓さん、ayami yasuyhoさんに声かけたのも、名前が通っているとか、いろんな分野に精通しているとか、前述のように、もちろんそういう意図もあるのですが、純粋にかっこいいと思うし、だからこそ、勝負しましょうや、ということで、言ってしまえば勝手にじゃんけんをしているにすぎないのだけど、そういうことなのです。自分はすごいといいつつ、あらゆるひとたちの後ろ指をさすのはもう飽きたし、それならもっと、胸を張って、前に出なくてはならない。それが自分の活動の、責任の取り方だと思っています。

「鳳」は、表向きは傷ついた鳳を癒すために黄金の水をかけて、翼が生えていくような、どうかな、という過程を歌っているのですが、「大トリ」に発音し直してもらって、大トリを務めるくらいすごいひとやえらいひとやあこがれているひとをボコボコにしたあと、わけわからん水かけて、さて、どないします、と挑発しているサマにも解釈して頂くことができるのですが、お気づきでしょうか、

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今回のイベントを通して、やっぱり自分のしていることを広く知ってほしいし、褒めてほしいし構ってほしいし、だけど同時に「自分のしていることでしか救えないものがあるはず」と思っていることに、改めて気づきました。

活動の動機は自己愛とか、顕示欲とか、「俺がやってやろうじゃないの」「かっこいいことしてやろうじゃないの」みたいな勝気では、あります。だけど、私は勝手に背負ったような気持ちになるのが好きで、自分のしていることも誰かの癒しや救いになればなと思っています。「一億の夜」というのは、「やっぱ、そない思ってるねんな」と気づいたときに作ったものです。今までに比べると歌詞がわかりやすいなとか、素直だなというのがあって、だから「恥ずかしい」と思っていたのですが、今までの方法だと、少しわかりづらいのかなぁと思ったりしました。

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わたしは焼き物を見るのが好きで、そういう焼き物のもつ存在感を演奏に返したいと思っている。そういう「すごみ」に私の生命は震えるし、かっこいいなと思うし、癒しだ。そういうのを演奏に還しているつもりです。だけど、今回はもう少し、素直に癒してみようかなぁ、と思いました。それは聴衆に媚びるとか、レベルを落とすとか、そういう失礼な発想ではなくて、焼き物的な鼓舞から、絵画のもつ、「ここが好き」とまだ口にしやすい要素に移行したような感じ。自分の「癒し」たる部分を明確に打ち出さなきゃってことだなぁと気づいたのです。

もちろん、楽しくてポップなものも好きだし、みんな楽しい世界、というのも好きだし、ものすごく絶望的で暗い闇も好き、なんだけど、そのどちらの世界にいても、居心地が悪い。わたしは、極端ではないし、中途半端で、今までもそういうバランスをとってきた。同じように「居心地の悪い」ひとたちに向けて、何かしていくのが、自分のカルマなんだなと、思いました。そういうひとたちこそ、「癒し」を求めている。求めている、ということに気づくことで、「平等」になるのかもしれない。

すべての人間が平等になるなんて、ありえないし、そうなったとしても、それが正しいとは、思えない。だからこそ、理想郷としての平等を自分の歌のなかでは実現させたいと、思っています。

今年はもう、演奏の予定はないのですが、来年の一月と三月は決まっています。「歌う環境」と交通費さえ揃っていれば、どこでも行きます。演奏のお誘いは、uncowakigerecords@gmail.comまで。

 

≪曲目≫
1.鳳 2.実を吸うて 3.架空 4.骨と燈 5.千年 6.四肢の芳醇 7.一億の夜

2016.10.11(火) 「平日ノーチャージデイ」 於 西院 ネガポジ

【出演】

清水アツシ
かわむらゆうのすけ(THE COINTREAUS)
LEOPON
根岸卓平

今回もあまり気負わない演目にしようと思いました。

「気負わない」というのはどういうことなのかというと、曲に勢いがあるとか、単純にギターが弾きやすいとかって話になるんですけども、結果、自分もやってて楽しかったです。

MCも最初は何も話さないでおこうと思っていたけれど、まぁこういう性分ですから、何となく話したいなと思っていて、ずっと考えていた。「落語聞いてたら『蕎麦』が『ソランジュ』に聞こえた、ってはなしをしようかなと思ったのですが(ソランジュはビヨンセの妹です)、やめにして、人前に立つことを通して、思ったことがあり、それを言葉にできたので、よかった。

ライブハウスに出始めて、改めて、やっぱりバンドがぜんぶ持ってくんだなと思いました。華があるし、音圧もある。汗だくで、一生懸命だし。しかし、ところ変われば?もしくは、永遠にこの音は鳴り続けるのか?良いとか悪いとかでなく、自分が、そういったことを信じる『自分』に、懐疑的なのかもしれない。自分がギター一本で、ひとりでステージに立って、朗々と歌う、その動機って、こういうことなのかもしれない。

だからこそ、尚更、ヘラバの木村さんの、「弾き語りのひとはバンドとしたがるけど、バンドのひとは、したがってないよ」という言葉をよく回想します。

楽しそうに、のびのびと歌うひとは、いい。

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2016.10.5(水) 於 難波 ベアーズ

【出演】
尾崎伸行+藤田亮

スパッツカリマール
カズマントンボ(人形劇)
根岸卓平

好き勝手します、と書いたのは、この2週間ほど、ヘラバでの一件があって以来、自信をなくしてしまったことに由来する。

告知のたびに演奏の内容を書いていたのは、ただ告知するだけより、どんなことをするか、知ってもらったほうが、引っかかりになるかもやし、単純に、言ってもうたらあとには退けんし、と思い、書いていたのですが、この精神状態では、何をやってもうまくいかない、

この2週間は演奏することを考えるのがイヤで、レコ発のことも気に揉んでしまう。加えて、レコ発では新しい歌を披露したいなと思っていて、しかしそれも、考えれば考えるほど、自分のいいと思えるものでなくなってくる、

せっかくごっついCDを作ったのだから、やっぱり広く聞いて欲しいし、やっぱごっついな、とできる限り、多くのひとに、思ってほしい。だから名前のある、自分と通じるような方々とご一緒したいと考えてのメンツですし、

やけど広く聴かれるっちゅうのはなにかしらねぇ。自分は、この件に関しては、音楽の性質を変えるというのではなく、やり方次第やなと、思っている、やっぱり信じているものしかしたくないし、残したくない、

でもくだんの「とき」も、ひとから言わせると、みんなついていけへんのとちゃうかとか、もっと肩の力抜いたらとか、茨の道やな、ということらしく、もっともやなと思うことでもあるし、ほんまそうなやなと思うねんけど、そう思いながら、おいコラもっぺん言ってみい、と、なるのも事実で、正直、なんでわかってくれへんねやぁ、と泣き崩れている自分と、なんでやぁ、と刃物を振り回している自分がいます。

自分はあまり音楽という感覚で演奏はしてなくて、美術をしているんだ、という気持ちでいる。どちらかというと、音楽より美術のほうが好きやし、例えば絵なんて、わけわからんけど、すげー、の感覚こそ重要やと思うし、その、すげー、の持つ魅力を還元して作曲しているのだから。でもそういうことが伝わっているように思えない。このままでは、どれだけのひとを巻き込んでも、ただの独りよがりではないか、そんな趣味の悪いはなし、あるのかよと。

みんなそんなに都市とかインターネットとか、暮らしとか、楽しいな悲しいなでしか、音楽聴いてないのかしらね。そこに違和感を感じていて、私は、音楽にだけでなく、何にしても、そういうことは求めていない。ただ、「受け取る」という行為の作用に関しては、人それぞれのはなしで、どう思おうと、善いとか悪いとかではない、というのがキモであり、ややこしく考えてしまう原因なのだろう、

そういう次第なので、自分のできること、というのは、やりたいことをやるしかないということに尽きるし、だから、黙々とやらねばなと思うのですが、なんせ、そう思うと、変に気張って、しんどくなってきて、いろんなことが手につかなくなってしまった。むかしから、黙々とできない。結局、こんな風にでも文章でまとめないと、うまく自分の思考を循環させることができない自分というのも、イヤやなぁと思うしで、自分の活動に対し、言葉で補おうとしているところも、卑怯やなぁと思うしで、もうそうなると、いよいよ八方塞がりですから、一旦もう考えるのを止めにして、したいようにしよう、と相成ったわけです。

結果としては、音響のトラブルがあり、「聴かせる」ことに支障はあったし、それでさらに、演奏中は、負のループに入ってしまった。

それでもなんとなしの、「回復」を感じたのも事実だった。なるようにしかならないと、理由なく、信じれる気がしたのだった。本当に理由がない。自分は感情にものすごく左右されるので、そのブレをなるたけ減らして、毎回最善のものを見せるしかない。なんて、当たり前のことを反芻することはできました。

カズマントンボさんとスパッツカリマールさんとご一緒だったことも、よかったのかもしれない。おふたりの話し方や気の使い方に、いいなぁ、と思っていた。カズマンさんスパッツさんと3人で、いっぱいいっぱいでしたね〜、なんて笑って、楽しかった。黒瀬さんやおはまにもレコ発の話を聞いてもらったりして、安心もした。思ってたよりも自分はこの2週間、疲れていたみたいで、疲れてんちゃうん、と指摘されて、なんとなくわかって、昨日の今日やのんで、今日はもう寝ようと思います。

ベアーズの100円レコードの棚で嶋野百恵のリミックス集のアナログ盤をゲットした。ジャケットもすごくいい。いま聴いてもオトナだなと思う。(画像はネットで拾ったものです)

2016.09.25(日) 於 神戸 ヘラバラウンジ

【出演】

虻蜂とらず
ぐうたら狂
鈴木想
根岸卓平

自分の演奏活動で五本の指にはいるほど、ひどい演奏だった。圧倒的に空回りしている自分がいて、フワフワしていた。活動は、信じているものを見せつける、ということだと思うのですが、その信じるという行為そのものも、業務的にこなそうとしている自分に気づき、寒気がした。それは驕り高ぶっている、ということに尽きるのですが。自意識が一番醜い。

早よ帰りたいわもうおったらおるだけ毎秒先祖の顔に泥塗るようなもんやわと、部屋の隅で文字通り手持無沙汰にしていると、オーナーの木村さんがやって来てくれはって、今日どうやったん、と声をかけてくれ、いろいろ話を聞いてくださった。正直、ヘラバのひとたちは自分のことを好いてないと思っていたし、まともに見てくれてないと、演奏の都度、思っていたのですが、それは演奏の反応があまり芳しくないからなのですが、だからものすごく他人やと思っていたのですが、だから自分も他人行儀に対することしかできなかったので、話しかけられたときも、ものすごく身構えてしまったのですが、ずっと観てくれてたということ、それから、信念を貫くのはタイヘンやけど、君はそれするしかないと思ってるんやろし、どうせそうせな、落ち着かんのやろから、もっと突き詰めなアカンのとちゃうか、という話をしてくれはって、あぁ、そうやなと思った。くすんだ室内、妙に鮮やかなステージ、匂うタバコの煙を通して、一気にこれまでヘラバに出演してきたひとの、心臓の音が重なって聞こえた。

それは、わたしはされたことはないのですが、ライブハウス特有の「説教」とか、よくされるのですが、「業務的な感想」とか、そういうのではなく、アドバイス、の一言に尽きなかった。初めて面と向かって、話したのですが、ほどけていく思いがあり、たぶんそれは、学生時代、演奏なんてまったくしていなかったときのはなし、毎週のようにヘラバに行き、かっこいいものを見て、単純に楽しかった、その思いが澱となっていたからだと思うのですが、それを原動として、わー、っと話した。聞いてくれたし、話してくれた。大学の先輩の想さんや、ずっとずっと居てはる、Feedback Daughterの方、それから、あこがれのsquimaotoのakemiさんとお話しすることができて、ハタチ前後の鬱屈とした気持ちを転回するような、それでも心地よいものを感じた。

こんな文章を書いておきながら言うのもなんですが、自分はものすごくネガティブ、とはいえ、最終的に、でもせなアカンし、生きるしかないわな、という考えにたどり着くし、翌日は、仕事もロクに手につかなくて、でも先輩が話を聞いてくれて、優しかった、甘えてる自分ってほんまイヤやなと思いつつ、家帰って寝て、起きて、何もしないで、寝て、起きて、何もしないで、寝て、というのを繰り返して朝を迎えると、やっぱゲンキになるもので、前を向いてるし、やっぱヤッタルチャンになるんやで、と思った。今回のことも、失敗から見えてくるものがある、みたいな、ありきたりな台詞が一番ふさわしく、ほんまにそうやなぁと思った。大げさにいうと、挫折なんやろし、こういうことを学生時代してこなかったので、そういうのを今さら体験できている、というのは、ええことなんかもなぁとも思った。これはいまブログで「地元」について書いていることにも、なんとなくつながってる気がする。

歌の上手なひとが楽しそうに、自分の歌を歌っているのは、やっぱりいいですね。

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2016.09.04(日) 「三浦カヨ×玉置寛明×根岸卓平」 於 元町 喫茶ポエム

【出演】

三浦カヨ
玉置寛明
根岸卓平

9/4(日)は元町 喫茶ポエムで三浦カヨさん、玉置寛明さん、そして、わたしの3人会でした。

玉置さん。わたしの無茶ぶりに応えて頂いて、夏なのに、トニー谷のサンタクロースの曲をしてくださいました。前にこの曲をされているのを見て、ずっと、またみたいなと思っていたのです。玉置さんが人前に立つとみんなが「見守る」姿勢になるので、言い換えれば、誰にでも愛されるひとなんだなぁと思いました。

カヨさん。カヨさんの声や佇まいが好きで、秋の入り口にポエムで見れたらいいなと思っていました。うみうしこんなの、深海節、などのオリジナルの曲が、やっぱり善い。ご本人も、やりがいがあるとおっしゃってたのが印象的でした。カヨさんの視点と、音の合わせ方、発声の間は、すごいなと思います。来ていただいた方に「カヨさんは、リフが多くて、ロックだなと思った」と言われて、言い得て妙だなと思いました。

わたし。これまでの自分を三つのパターンに区切って、それぞれを提示する形で演奏しました。「Gossip Folks」、「Gossip Folks」以降、それからこの日から発売する「とき」という具合に。この数回の演奏では、一曲一曲を区切って演奏する、ということを強く意識していました。どれが曲の終わりか分からない、と言われたのもあるのですが、曲ひとつひとつのなかの「高揚」を意識したいなと思ったからです。一曲のなかで高揚しても、次の曲が始まるときは、静かに始まり、飛翔し、終わり、次の曲を静かに始める。そのほうが、曲の意図が伝わるのかな、なんて思っています。この日は、その課題の、ひとつの結果を出せたと思います。

帰り際、「6弦を弾かないのはなぜか」と問われ、「6弦を弾くとつまんないから」「興味がない」「弾くべきものと考えてない」と答えたら「え…」「ルート音やから、そんなんいうひと初めて見た」と言われて、驚きました。「やっぱヘンタイなんやな」と言われて笑いました。

写真を3人で撮るのを忘れたので…Twitterから拾ったものでご勘弁ください。なんとなく畏まってる自分。たぶん広瀬香美の話をしている。

2016.09.01(木) 「平日ノーチャージデイ」 於 京都 ネガポジ

【出演】
Mr.69
橋村恭平
桃鉄
根岸卓平

前回のベアーズ同様、Gossip Folksの楽曲と「骨と燈」のみ披露しました。共演の方々と種類が異なれば異なるほど、のびのびと演奏できるタイプなので、いいものをお見せできたと思います。「骨と燈」もようやっと、板についてきたかなと。(写真はネガポジの方が撮ってくれたものです)

「骨と燈」はこんな曲
http://uncowakige.exblog.jp/25787370

2016.08.25(木) 於 難波ベアーズ

【出演】
恩地尚弥(東京)
黒岩あすか
二十人
根岸卓平

難波ベアーズで演奏しました。ご来場のみなさま、ありがとうございました!

あたらしいギターで初めての演奏でした。ええ音やん、と誉めてもらえてよかったです。演奏の感想として、自分の所作について述べて頂いて、そういう部分に触れてもらえると、とてもうれしい。