Negishi Takuhei

根岸卓平の演奏日程と、その後記

2016.09.25(日) 於 神戸 ヘラバラウンジ

【出演】

虻蜂とらず
ぐうたら狂
鈴木想
根岸卓平

自分の演奏活動で五本の指にはいるほど、ひどい演奏だった。圧倒的に空回りしている自分がいて、フワフワしていた。活動は、信じているものを見せつける、ということだと思うのですが、その信じるという行為そのものも、業務的にこなそうとしている自分に気づき、寒気がした。それは驕り高ぶっている、ということに尽きるのですが。自意識が一番醜い。

早よ帰りたいわもうおったらおるだけ毎秒先祖の顔に泥塗るようなもんやわと、部屋の隅で文字通り手持無沙汰にしていると、オーナーの木村さんがやって来てくれはって、今日どうやったん、と声をかけてくれ、いろいろ話を聞いてくださった。正直、ヘラバのひとたちは自分のことを好いてないと思っていたし、まともに見てくれてないと、演奏の都度、思っていたのですが、それは演奏の反応があまり芳しくないからなのですが、だからものすごく他人やと思っていたのですが、だから自分も他人行儀に対することしかできなかったので、話しかけられたときも、ものすごく身構えてしまったのですが、ずっと観てくれてたということ、それから、信念を貫くのはタイヘンやけど、君はそれするしかないと思ってるんやろし、どうせそうせな、落ち着かんのやろから、もっと突き詰めなアカンのとちゃうか、という話をしてくれはって、あぁ、そうやなと思った。くすんだ室内、妙に鮮やかなステージ、匂うタバコの煙を通して、一気にこれまでヘラバに出演してきたひとの、心臓の音が重なって聞こえた。

それは、わたしはされたことはないのですが、ライブハウス特有の「説教」とか、よくされるのですが、「業務的な感想」とか、そういうのではなく、アドバイス、の一言に尽きなかった。初めて面と向かって、話したのですが、ほどけていく思いがあり、たぶんそれは、学生時代、演奏なんてまったくしていなかったときのはなし、毎週のようにヘラバに行き、かっこいいものを見て、単純に楽しかった、その思いが澱となっていたからだと思うのですが、それを原動として、わー、っと話した。聞いてくれたし、話してくれた。大学の先輩の想さんや、ずっとずっと居てはる、Feedback Daughterの方、それから、あこがれのsquimaotoのakemiさんとお話しすることができて、ハタチ前後の鬱屈とした気持ちを転回するような、それでも心地よいものを感じた。

こんな文章を書いておきながら言うのもなんですが、自分はものすごくネガティブ、とはいえ、最終的に、でもせなアカンし、生きるしかないわな、という考えにたどり着くし、翌日は、仕事もロクに手につかなくて、でも先輩が話を聞いてくれて、優しかった、甘えてる自分ってほんまイヤやなと思いつつ、家帰って寝て、起きて、何もしないで、寝て、起きて、何もしないで、寝て、というのを繰り返して朝を迎えると、やっぱゲンキになるもので、前を向いてるし、やっぱヤッタルチャンになるんやで、と思った。今回のことも、失敗から見えてくるものがある、みたいな、ありきたりな台詞が一番ふさわしく、ほんまにそうやなぁと思った。大げさにいうと、挫折なんやろし、こういうことを学生時代してこなかったので、そういうのを今さら体験できている、というのは、ええことなんかもなぁとも思った。これはいまブログで「地元」について書いていることにも、なんとなくつながってる気がする。

歌の上手なひとが楽しそうに、自分の歌を歌っているのは、やっぱりいいですね。

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